暗屯子の部屋

ミカンと温泉の街に潜み、IgA腎症と戦いながら研究と釣りに明け暮れている、ヒゲとメガネとは私のことです。

論文の結末

国際学術雑誌に投稿していた論文が無事にアクセプト(採用、受理)された。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。
 
この論文を投稿したのは今年3月。
ある学術雑誌に投稿したが、早々に編集者にリジェクト(不採用)されてしまった。
自分の論文の研究内容がその雑誌に合わなかったらしい。
改めて別の学術雑誌に再投稿したが、こちらも編集者にリジェクトされてしまった。
それでもめげずにさらに別の学術雑誌に再々投稿すると、こちらでは編集者にリジェクトされずに、無事に審査員に審査してもらえることになった。
そしてその二か月後に審査結果が届く。
 
結果はリジェクトだった。
何がいけなかったのだろうと思い、審査員のコメントを見てみる。
1人目の審査員のコメントはちょっとした誤字を訂正せよというだけのもので、論文そのものは採用に値すると評価してくれていた。
しかし、2人目の審査員からは見当違いでなおかつ今回の論文にとって意味のないもコメントが書かれていた。
どうやら編集者は2人目のコメントを参考にして論文のリジェクトを決定したらしい。
 
2人目の審査員のコメントを読んでかなり落ち込んだ。
手前味噌ながら、今回の論文の研究成果は悪くないと思っている。
それが、審査員の的外れの指摘によってリジェクトされたのだ。
このまま泣き寝入りしなければないのか。
一晩考えて、編集者に意見することに決めた。
2人目の審査員の全てのコメントに説明を加えつつ、それらのコメントはそれほど意味がないことを丁寧に説明し、これだけで論文の結果を決定するのは残念であると書いたメールを送った。
すると「再審査するから、審査員の指摘事項を修正して再投稿してください」という返事が返ってきた。
と言うことで論文原稿を修正して再投稿した結果、無事にアクセプトされることになったのだ。
 
論文がアクセプトされたこと自体は嬉しい。
しかし、いちゃもんをつけてアクセプトを奪い取ったような気がしないでもい。
正直なところ複雑な気分である。
 
話は変わるが、この数日前にとある学術雑誌に投稿された論文の審査をした。
その論文は研究成果が良かったので、一部修正したらアクセプトして良いだろうという審査結果を提出した。
しかし、編集者の最終判断はリジェクトだった。
その編集者には自身の考えがあるのだろうが、あの研究成果が公表されないのは残念である。
良くも悪くも論文の運命を決めるのは学術雑誌の編集者である。
学術雑誌の編集者は適切な判断ができなければならないと強く思った。
 
現在の論文投稿状況は以下の通り。
 
受理された論文:1本
再投稿中の論文:0本
投稿中の論文:2本
投稿準備中の論文:2本
 
慢心せずに研究に励みたい。