暗屯子の部屋

ミカンと温泉の街に潜み、IgA腎症と戦いながら研究と釣りに明け暮れている、ヒゲとメガネとは私のことです。

ある駄目教員の憂鬱

今日の日記は最近の悩みを書きます。
内容としても、書き方としてもお見苦しい点があると思います。
 
大学改革の一環として、「大学の機能的分化」というものが進められている。
極論すれば、日本の大学を「最先端研究を行うための大学」と、「(その大学がある)地域のための研究と教育を行うための大学」に分けようという改革だ。
そしてこの改革が自分を悩ませている。
 
自分が所属している大学は地方大学である。
すなわち「地域のための研究と教育を行うための大学」に分類されている。
しかし、自分の研究はどちらかというと基礎研究ですぐに地方のお役に立てるものではない。
これまでにいろいろと研究に取り組んできたが、これからはできなくなるということなのだろうか?
研究者には各々が見出して発展させてきた研究分野があるが、それを捨てなければならないということなのだろうか?
新しい研究分野に進出するためにはそれなりの研究費や研究設備が必要になるのだが…。
 
また、この改革を受けて、大学内でも「地域のための研究」に対して研究費を出すようになった。
そんなの元々そういった研究をしていた人にとって有利になるに決まっている。
 
そもそも「地域のためになる研究」とは何だろうか?
一時的にその地域に利益をもたらしたとしても、永続的に利益をもたらすかわからない。
果たしてその研究成果が他の地域や諸外国のものに打ち勝てるものになるのだろうか。
地域のためになることが良くないと言っている訳ではない。
地域を本当に盛り上げるためには、他の地域や国より優れたもので、なおかつ長続きするものでなければならないと思うのだ。
もちろんそういう研究分野もあると思うが、自分の研究分野(畜産)の場合はなかなか難しい。
 
畜産は世界各国が力を入れている分野である。
また、家畜を飼育するという都合上、「広い土地がある」こと自体が大きな力になる。
これは家畜の餌を栽培する時にも当てはまることだ。
日本の面積はそう広くないので、生半可なことでは世界各国に太刀打ちできない。
日本国内の各地域で競合するより、いっそ協力して世界各国と渡り合っていかなければいけないのではないだろうか。
そういう意味で、「地域発の研究で世界に通用するもの」が、自分の研究分野における「地域のためになる研究」と言えるのではないか。
 
地域を盛り上げるのであれば、経済や流通についても考えなければならない。
そもそも自分の興味があることのみ研究してきた大学の教員にそこまで考えられるのだろうか。
研究費を使った挙句に成果が出ないようなことにならなければ良いのだが(注1)。
 
悩みすぎて最近は鬱になってきた。
取り敢えず、今の研究を続けて論文を書き続けていこうと考えている(注2)。
悩みすぎて研究成果が出なくなることが最も良くないことなのだから。
 
*注1
研究費を多く獲得しているのに論文を書かない(書けない)教員もいれば、研究費がほとんどないのに論文をたくさん書いている教員もいる。
 
*注2
先進国の多くの論文総数が増加しているのに対し、日本の論文総数は年々減少傾向にある。
近年は中国の活躍が目覚ましく、論文総数では既に日本を超えている。
日本の論文総数が減少した原因はいくつかあるが、大学改革を含めた事務的な仕事が増加したことが一つの理由だと思う。
研究で素晴らしい業績を出してきた教員は、その運営能力を認められて大学の役職に就くことが多い(本人の意思とは無関係に)。
また、大学を「最先端研究を行うための大学」と「地域のための研究と教育を行うための大学」に分けたのも問題だ。
地方大学、つまり「地域のための研究と教育を行うための大学」に分類された大学にも、最先端の研究を行ってきた教員は少なくない(少なくなかった)。
そのような優秀な教員は今でも論文を書けているのだろうか。