暗屯子の部屋

ミカンと温泉の街に潜み、IgA腎症と戦いながら研究と釣りに明け暮れている、ヒゲとメガネとは私のことです。

ある教授について

かつて国立大学は楽園だった。
 
以前の大学にはかなりの数の教員が所属していたので授業をあまり担当しなくてもよかった。
研究面でも無償で多額の研究費をもらっておりかなり自由に研究できた。
そもそも大学教員の仕事は自己裁量に任されることが多いので、きちんと仕事をしなくても注意されることがほとんどなかった。
にも関わらず国家公務員として安定した給料をもらっていたし、教授ともなれば社会的地位も決して悪くない。
こんなに良い職場はなかなかないだろう。
 
しかしこの楽園もやがて終焉を迎える。
 
2004年4月に国立大学は文部科学省が設置する国の機関から国立大学法人に変わった。
所謂「国立大学の独立行政法人化」である。
法人化には未だに賛否両論あるものの、大学の仕事が急激に変化したことは間違いない。
その中でも最も変わったものの一つが研究費だ。
旧帝国大学はともかく旧地方国立大学では予算の獲得が困難なため、研究費が減額されることになる。
自分の大学でも研究費が半減しており、自ら外部資金を獲得しなければ研究活動の継続が困難になった。
 
自分が大学教員として勤め始めたのは法人化の1年前である。
幸いなことに以前の大学を知らないし、研究費を自分で獲得することは当たり前のことだと思っている。
一方で、かつての楽園を満喫していた教員は、この職場環境の激変に対して様々な対応をしている。
法人化後も変わらず真面目に教育と研究に励んでいる教員。
法人化に伴い研究を諦めて大学の運営に携わる様になった教員。
そして、ほとんどの職務を拒絶した教員。
 
年配の教員の行動は、将来自分がどうあるべきかを考えさせてくれる。
数多くの年配の教員の中でも、今年度限りで引退する1人の教授の行動があまりに印象的だったのでこの日記に書き留めておきたい。
 
その教授は自分の研究室とは違う研究室に所属している。
とても真面目な教員であり授業でも大学の運営に関わる仕事でも一度も断った姿を見たことがない。
その結果、他の教員の2倍くらいの授業数を担当していた。
授業が多いにも関わらず研究にも熱心に取り組んでおり、早朝から時には夜遅くまで、引退間近の最近まで実験をしていた。
最近の大学教員は定年退職後の収入獲得を目論んで何とか大学に残ろうと画策する人も少なくないのだが、この教授はあっさりと引退して地元に戻るそうだ。
 
彼は大学の改組(組織改変のこと)で何度も研究室を移動させられており、法人化でも職場環境が激変したにも関わらず、全く姿勢を変えることはなかった。
地位や名誉やお金とは無縁にずっと一所懸命に仕事に取り組んでいた。
一度、その教授に「お仕事が大変ではないでしょうか?」と尋ねたところ、「全部必要な仕事ですから」「誰かがしなければいけないことですから」という答えが返ってきた。
 
自分が年を取って引退が近づいた時に同じ様なことが言えるだろうか。
自分も気を引き締めて頑張らねばと思う。
 
残念なことにその教授の研究室は彼の引退をもって廃止される。
こんなに職務に励んでいたのに送別会もなさそうな気配だ。
そう思い数人の学生を誘って飲み会を開いたが、どうやら3年生の女子学生も送別会を開いてくれたらしい。
他人事ながら嬉しく感じた。