暗屯子の部屋

ミカンと温泉の街に潜み、IgA腎症と戦いながら研究と釣りに明け暮れている、ヒゲとメガネとは私のことです。

卒業式

今日は卒業式。

卒業生のハレの日だ。

午後の学位授与式に備えて雑用をこなす。

ついでに研究室の卒業生をお祝いする準備をしたのでかなり疲れた。

 

今年度の研究室の卒業生は男子一人女子四人の合計五人だった。

卒業論文研究や研究室運営に頑張ってくれたことと思う。

しかし、その一方で手のかかる学生達で、何かと考えさせられることが多かった。

これまでの学生と言えば、研究室の先輩からいろいろと学んで自分に活かしそれを後輩たちに伝える(直接的にも、間接的にも)のが普通だったと思う。

しかし、今年の学生はその「学び」よりもいわゆる「集団思考」を優先させることが多かったように思う。

集団思考」とは集団で物事を決める時に集団での意見一致を優先させて不合理もしくは危険な意思決定をしてしまうことで、「集団浅慮」と言われることもあるらしい。

もちろん、集団で話し合って最適の意思決定ができることも少なくないので、集団で考えることが悪いと言う訳ではない。

集団思考」のきっかけは、自分達の集団に対する過大評価や集団による自己防衛、外部に対する偏見などである。

そして、「集団思考」の末に決められた物事には危険性が含まれていたり、代替案を精査していないなどの欠陥が含まれることがある。

これは、自分達の都合を中心に考えた結果、他人に迷惑をかける決断をしてしまうようなものだ。

 

研究室の学生達が話し合って決めたことには、かなりの確率で何らかの問題があり、そしてそれのフォローに追われることが少なくなかった。 

また学生達も「集団思考」に流されて自分の長所を伸ばしきれなかったと思う。

昨年度の先輩達のやり方をもっと受け継いでいたら良かったのに。

自分の研究室の卒業生は全員就職するのだが、就職先の先輩の意見を受け入れて仕事ができるのか心配である。

 

 

自然界には厳然とした秩序があり、それを守れぬものには死が訪れる。

もちろんヒトの社会にもルールがありそれに適応できなければ生きていけない。

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ヒツジはただただ草を喰う。

 これから彼らが向かう世界ではこれまでの「集団思考」など何の役にも立たない。

 

彼らが社会でしっかりやっていけることを祈っている。